私たち人間が毎日習慣的に行う食事。一見普通のことだと思われるが、私にとって一日の中で一番楽しみなことだ。そんあ食べることが好きな私には食へのこだわりがある。
「好きな食べ物は何ですか。」そう聞かれると必ず「お米」と答える。それくらいお米が大好きだ。そのきっかけは、小学生の授業の時にJAで体験したお米の食べ比べだった。コシヒカリ、いちほまれ、華越前、あきさかりの福井の四つのお米の品種当てをし、全て当てることができた。初めて華越前、あきさかりを食べて、「こんなにもお米の味に違いがあるんだ。」と感動した。それ以来、夕食に出てくるお米に五感を寄せて食べるようになった。そして、外出先や家の食事で「この米炊いてから時間がこのくらい経っているな。」「今日は水の割合が少ないな。」とお米の評価を勝手にるするようになった。
家での食事の時、「いつもはコシヒカリなのに今日の米は種類が違うな。」と思い、母に聞いてみた。見事にその日は「山形県のつや姫」だった。それから東北のお米や福井のお米を色々食べていくうちに炊き立てのお米が好きになり、夕食前になるとお米が炊けるまでの時間が待ち遠しくなった。
日本のお米は世界に比べて美味しいと言われている。このことは全日本人が感じているだろう。そんなお米が美味しいと言われている日本のお米の中でも私が好きなお米は、福井県産のコシヒカリだ。福井県産のいちほまれ、華越前、東北地方のつや姫、ひとめぼれ、北海道のゆめぴりかなど色々な品種のお米を食べてきたが、ダントツで福井県産のコシヒカリが美味しかった。福井県産コシヒカリはいくつかあるが、私の中で「このパッケージのコシヒカリ」と決まっている大好きなお米がある。
また、私が中学生になった頃、母から竹の箸の良さを教わった。「所詮箸なんて口に運べれば何でもいいだろう。」竹の箸の良さを知らない私は、そう思っていた。半信半疑で竹の箸を手に取り、食してみた。箸の先が極細で、持ち心地が良く、お米一粒一粒が掴みやすく、魚の身が取りやすく、その箸の良さを見つけることしかできなかった。お米大好きな私は、竹の箸で食べた時、いつも以上に美味しいと感じた。「口に運ぶ時の物で美味しさも一段と変わるなんて。」と感動した。それ以降、学校の弁当でも家での食事でも竹の箸だけを使うようになり、その箸で食事を楽しんでいる。母に竹の良さを教えてもらい、美味しいご飯を大好きな竹の箸で口に運ぶことができて毎日が幸せだ。
調理師免許を持っている私の兄もお米や手作りのおかずには鋭い。家の食事や外出先で「ここの米、朝に炊いたのをそのまま夜にも使ってる。」「みりんが多い。醤油が少ない。」と言い、私と兄は、母にアドバイスすることがある。いつもの食事の中で何かに気づき、それを言い当てるのも食事の一つの楽しみになっている。
そして何より、美味しいものはただ一人で食べていても美味しく感じられるが、何人かで囲んで食べるときに心から美味しいと感じることができると思う。今日この作文では、お米についてを中心に語ったが、私や私の家族には「作ってもらった食べ物は絶対に残さない。」「蕎麦は自分で打った手打ちそばを食べる。」「正月のお餅は母が作るお餅を食べる。」などと書ききれないほど食へのこだわりがある。貧しい人や恵まれない人の食料困難が起きている中で、私たちは当たり前のように食事をすることができている。そして、その中でこだわりを持って食事をすることができているということはどれだけ幸せなことなのだろうか。そのことを心に刻みながら今日も箸を持って食事をする。