「もしも時間を戻すことができたら、いつに戻りたい?」
私は祖父が亡くなる前に戻って、また色んな話をしたり、一緒に散歩に行ったりしたい。 私は、小学生になるまで祖父と同じ家に住んでいて、たくさん遊んでもらっていた。しかし、私はまだ幼かったので、鮮明に記憶に残っているわけではない。小学生になって、祖父とは別々に暮らすようになった。それでも週に一回は必ず会っていた。だが、私の記憶が鮮明に残っている小学校高学年のころには、祖父は認知症や肺炎などの病気になってしまっていた。その時の祖父は、私が幼い頃に両親や祖母が動画で撮っておいてうれた祖父とは、別人のようだった。私と運動会で玉入れをしている時の活発さはなく、見た目もとっても細くなっていた。そして、私が小学校六年生の時には、寝たきりになってしまった。私は、家族とたくさんお見舞いに行き、たくさん一緒に写真を撮った。そして、何ヶ月かたった時、祖父は亡くなってしまった。私は、家族や親戚のみんなで、祖父の最期を看取った。私は初めて「看取る」ということを経験して、色々な感情が込み上げてきた。そして、三年たった今、特に二つの事を考えるようになった。
一つは、感謝の気持ちは伝えることができる時に、伝えた方がいいということだ。私は祖父にしっかり「ありがとう」などと言ったかどうかはあまり覚えていない。だから、このように考えるようになった。しかし、私は父や母に「ありがとう」と思うことがあっても、恥ずかしくて素直に伝えることができないことがある。でも、今考えてみれば「ありがとう」と言われて嬉しくない人はいないはずなので、素直に伝えるよう、意識して生活していきたいと考える。
もう一つは、なるべくたくさん祖母や祖父に会うことだ。今は医療の発達により、人生百年時代と言われている。だから、みんなが健康に生きていれば、必然的に祖母や祖父の方が、速く亡くなってしまうことになる。亡くなってから「たくさん会いに行けばよかったな」や「一緒に色んな話しとけばよかったな」などと後悔したくない。やりたいことがたくさんあると、どうしても家族の家に行くことは後回しにしがちだが、会えるだけたくさん会いに行きたいと思う。
私は、祖父を亡くした時、「なんでまだ小学生なのにこんな思いしないといけないのだろう」と思った。だが、ポジティブに考えれば、幼いうちに二つのことに気づくことができたのは良かったのかもしれない。二つのことに気づく機会を祖父からもらえたからには、後悔しないような生活を送っていきたい。また、私はこの時初めて、「死」を自分ごととして感じた。このことで、永遠の命なんてないのだと身に染みて実感した。それは、家族や親戚、友達の命はもちろん、自分の命もだ。だから、伝えたいことはしっかり伝え、やりたいことは思う存分やり、後悔の残らない人生にしていきたい。また、祖父のように明るく、優しく、家族を大切にする人になりたい。