大晦日、午後十一時五十分、私は身支度をしていた。初詣に行くのだ。外は極寒、しとしとと、雨が窓に伝う。空は暗く、灰色の雲が夜空を埋め尽くした。ずうっと遠くから、除夜の鐘が聞こえた。紺のダウンを羽織り、赤のマフラーを首に巻く。ドアノブをひねる手が悴んでいたので、毛玉の手袋をポケットにねじ込んだ。妹と父は既に外で待っている。私は急いで玄関に向かった。
外を歩けば、何人か見知った顔とすれ違う。皆耳を赤くして、白い息を吐いていた。着膨れして尚寒そうな老夫婦、傘を振り回してはしゃぐ子供。それぞれ家族と談笑しながら帰路についていく。スノーブーツのスパイクがアスファルトに擦れ、歩きにくい。すぐそこにあるはずの神社が、なぜか遠く感じた。鳥居をくぐると、境内には人が溢れていた。雨が降り止まぬ夜でも、こんなに人が集まるのか。そう驚きながら私は参拝の列に並んだ。何十人いるのだろう。普段の寂れた様子からは想像できないほど活気に満ちている。参道の側にはパチパチと燃える篝火が置かれていた。雨が降っているとは思えないくらい、火はゆらゆら燃えている。町内会のおじさんがひとつ、薪を焚べていた。篝火の周りには何人かが集まって暖をとっている。寒さで耳が痛い。少しだけ近寄れば、ほのかに暖かかった。私はその時初めて、火を神聖なものだと信じた人間の気持ちがわかった。一寸先も見えない暗闇、体の芯まで凍えるような夜。熱く、明るく、辺りを照らす火は、どれほど尊く見えただろう。列が進んで篝火から離れるのが名残惜しかった。
列に並んでいる最中、父と妹に話しかける話題もないので、他の参拝客の話を盗み聞きしていた。中でも、前に並んでいたお兄さんたち三人の会話が印象的だった。
「今年もこの三人だったな。」
「またかよ。」
「来年こそ彼女欲しいな。」
大体このような内容だった。何年も変わらぬ友情、素晴らしいものだ。毎年同じメンバーで初詣、なんと有難いことか。変わり映えしない日常、万歳である。そうこう思っているうちに、いよいよ私の番が来た。待ちに待った参拝。傘を畳んで小脇に挟む。年季の入った拝殿では、神主らしきおじさんが年始の挨拶を繰り返していた。賽銭箱に小銭を投げ入れる。さらば五円玉。妙に真剣に祈る妹を横目に、私も手を合わせた。二礼二拍手一礼。本殿から厄払いの祝詞が聞こえる。私は名も知らぬ神に祈った。日々の感謝と、ささやかなお願いと、先ほどのお兄さんに彼女ができますように、と。
鳥居をくぐり、境内を離れる。まだ除夜の鐘は鳴っていた。ぽつ、ぽつ、と雨が傘を打つ。あとは、来た道を戻るだけだ。去年と変わらない光景に、しみじみと私は思う。実際にご利益があるかなんてどうでもいい。ただ、こうして家族で集まることこそに意味があるのではないかと。また来年も、一緒にこの神社にお参りをして、炬燵でおせちを食べて、ゲームをしているのだろうか。冷たい指先に息を吹きかける。雨はもう止んだらしい。