中学校に入ってから、三年が過ぎた。このままあっという間に卒業してしまうのだ。僕は「人間の個性」について考えさせられた。
僕の学校には、世間一般に「変わり者」と呼ばれる人が数多くいる。笑い出したら止まらない人が数多くいる。笑い出したら止まらない人、宿題よりも化学の実験をする人、超がつくほどマイペースな人など、そんな人間の集まりだ。一人一人の個性が強く、周りから見たらブッ飛んでいると思われるかもしれない。だが、僕はそんな集団が大好きだ。何故か落ち着いていられるのだ。
僕が小学校の時、僕は周りから浮いていた。友達と呼べる人もあまりおらず、他の人と上手く話せなかった。僕はいわゆる馬鹿真面目で、先生方は「すごい」と褒めてくださるが、クラスメイトからは「そんなに頑張る必要ないでしょ」とでも言うように、変な目で見られた。僕は「変わり者」だったのだ。
しかし、中学校では違う。周りは一人一人が変わっていた。その中では、僕は「普通」だった。クラスメイトは、自分の個性や努力を認めてくれた。最初は、皆とコミュニケーションが取れなかったが、僕は徐々に友達の輪を広げていった。
ママで僕は分かった。僕のいる集団は皆、相手がどんな人でも異質だと捉えることなく、受け入れることの出来る集団であると。それは、僕達一人一人が「変わり者」だからこそ受け入れることが出来ると。僕らは特別なグループなのだ。
僕達には「変わり者の代表」とでも言うべき友達が何人もいる。その一人がM君だ。彼は数学が好きで極めており、高校の内容も既に理解出来る。数学だけなら、全国トップレベルと言える。ここまで聞くと頭の良さそうなイメージがある。しかし、彼は勉強はそこそこ出来るのに宿題を出さないのだ。また、M君は眼鏡を持っていてもかけない。眼鏡をかけずに手を持って、上下左右ひっくり返して見る。さらに、彼はチャイムがなる直前になってトイレに行くのだ。最近も
「酒井ちゃんトイレ行ってくる」と言って一人でトイレに行った。本当にブッ飛んでいる。
他にもN君という人がいる。彼は三度の飯より化学というような人だ。彼もM君のように、化学を極め、最近はある国家資格を取った。クロロホルムを合成したり、酸化鉄テルミットと呼ばれるものを作ったり、よく分からない実験ばかりしている。N君はたまに、作成した物を持っていくことがあるが、その代わり宿題はやっていない。宿題のことはともかく、彼は本当に化学が好きなのだ。
一見、変な目で見られれもおかしくなさそうだが、誰も彼らをいじめない。むしろ、彼らの特徴を一つの個性として捉え、笑いに変えてくれる。本人が傷つくこともなければ、周りがその笑いを不快に思うこともない。一人一人を知れば知るほど面白く、一人一人の行動が、集団の中での思い出として皆の心の中に残るのだ。これが僕のいる集団の日常、「当たり前」なのだ。
先生方も、宿題を出さなかったり、授業態度が悪かったりなど、人としての基本的なことは注意する。だが、M君の数学やN君の化学など、個人の得意分野や興味分野を認めて、より精進するよう褒めてくださるのだ。
僕がこの学校にいて学んでことが一つある。世の中は変わり者がいなければ面白くないということだ。例えば、テレビやネット上の有名人や芸能人の方々のほとんどは、かなり変わったエピソードを持っている。彼らもまた「変わり者」なのだ。それでも、その人を周りの人が認め、その人の個性を笑いに変えて一つのエンターテイメントを形成している。社会では職場や集団の中で個性を否定されることが多い。しかしそれを受け入れることで、上手くいくこともあるのではないのだろうか。