「夏休みの間、入院して休んでみない?。」
精神科の教授の問いかけに、私は驚いた。このとき、私は精神科の初診であった。当時の私は、一年ほど前から体調を崩し、小児科に通院していたが、精神面でも不調をきたし、精神科に受診することになっていた。私は入院の対象になるとは予想しておらず突然の提案に戸惑った。しかし、入院すれば少しでも気持ちが楽になると考え、「うん。」という返事を絞り出した。そして、夏休みが始まる、翌週から入院することが決まった。
一言にまとめると、この入院は私の人生において宝物のような経験となった。たくさんの驚いたことや貴重な体験があり、様々な面で私に変化をもたらしてくれた。その変化のうちに特に大きいものが二つある。
一つ目は、精神科に対するイメージである。私はそれまで精神科に対して、漠然と負のイメージが大きかった。しかし、この入院を通して百八十度そのイメージが変わった。
私の元々の精神科へのイメージだと、入院しても、重苦しい雰囲気のなか毎日過ごすと予測していた。なぜなら入院している患者のほとんどは症状の重い中高年の人で、関わることが難しく、医者や看護師を含め全体的に暗い空気感であると想像していたからだ。しかし、実態はそれとは真逆といってもいいほどのものであった。
まず、患者の少なくとも半数は同年代の十代であった。また、特に十代の女の子は、休息をとることや、摂食障害の治療、生活リズムを整えることを目的とした人が多かった。そのため、すぐに打ち解けることができ、友達がたくさんでき、とても楽しく過ごすことができた。さらに、ここで出会ったからこそできる話があり、それは私の苦悩を和らげてくれた。スタッフの面では、暗い空気感はなく、医者は独特の面白い雰囲気を放ち、看護師も明るく親身に話を聴いてくれる人ばかりでとても心地のよい環境であった。特に教授回診は忘れられない。たくさんの医者が病室に集まるのだが、私のお気に入りの人形についての話が盛り上がったとき、全体に笑い声が上がり、とても賑やかな空間となった。
このように私が元々もっていたイメージとは全く異なっていた。このイメージの変化は私に意識の変化も与えてくれた。
その一つは、精神科のイメージをかえていきたいという意識の変化である。おそらく私の元々もっていたイメージと世間一般的なイメージは一致する部分が大きいと思う。全ての精神科がこのような環境とは限らず、これは一つの例に過ぎない。このことを踏まえたうえで、精神科でこのような場所もあるということを世間に伝えて、精神科のイメージを変えていきたい。そして精神科の敷居を低くし、必要な人が気兼ねなく精神科に受診できるような社会にしていきたい。また、この経験から、どんなものにでも偏見をもたず、誰に対しても平等に接していきたい、という意識の変化もあった。
二つ目の大きな変化は、小児科医になるという元々もっていた目的がより具体化したことだ。それは、小児科医兼精神科医として私と同じように、一般には理解されづらい様々な要因から、普通の生活ができない小中高生の治療にあたるという目標だ。この入院やこの入院をきっかけに見るようになったSNSで、同年代で同じような境遇で苦しんでいる人がたくさんいると分かった。だから、このような立場の医者は間違いなく需要がある。また、私は当事者の一人として様々な経験と大きな思いがある。故に、そのような人に対して誰よりも気持ちを理解し、寄り添える自信がある。今では私がこのような職に就き、勤めることは宿命とさえ感じている。
最後に、私はこの入院を通した経験を一生の糧にし、この文章で述べた目標や願いが全て叶うために、常に自分にできることを考え努力していくことをここに誓う。