私の曽祖父は、よく取材を受けていました。内容は「戦争」についてです。実際に戦争に行った人はどんどん少なくなっているので、福井だけでなく全国から、取材をしに来る人が多くいました。私は辛い日々を思い出してほしくなかったため、自分から直接、戦争について聞くことはできませんでした。そのため、取材を受けた新聞や動画を見ながら、曾祖父が体験したことについて知りました。そんな曽祖父が、先日亡くなりました。その時私は「寂しい」という思いと同時に「聞いた話を伝えないと」という思いが出てきました。
私が曾祖父の行った戦争について興味を持ちはじめたのは、中学一年の夏休みです。夏休み明けの学校祭で行われるスピーチコンテストのため、「興味のある新聞と、それについての感想を書いてくる」という宿題が出ていました。どの新聞にしようかを迷っていた私は、祖母に相談しました。すると、「昨日の新聞にじいちゃん出てたよ」ということを教えてもらったので、読んでみることにしました。その記事には、今の私たちには想像できないくらい、悲惨な現場の様子が書かれていました。その記事を見て私は「もっと知りたい」し、「もっとたくさんの人に知ってほしい」と思いました。そこから、少しずつ記事を読むようになり、私は二つのことを感じました。
一つは「当たり前」はないということです。今では当たり前だと思っていることが、当時では全く当たり前ではありませんでした。例えば、『家族といること』や『食事ができること』などです。当時は、ほとんどの家の男性が、帰ってくることができるか分からない戦場へ行っていました。また、十分な食事を摂ることができる日は、ほとんどなかったと思います。これら以外にも、まだまだ「当たり前」でなかったことは多くあると思います。だから私は、何事も「当たり前」だと思わず、感謝の気持ちを持って生活しようと思いました。
二つ目は、「友達や仲間を大切にする」ということです。戦争中は、仲間が死んでしまうところを、目の前で見てしまうことが多くあったそうです。だからこそ、とある島で指揮をとっていた曽祖父は、足が悪くなるまで毎年、愛知県と大阪府にある神社へ、「おう、今年も来たぞ」、と命を落とした部下に会いに行っていたそうです。このことから、いつも私たちに優しくしてくれる曽祖父のように、友達や仲間を大切にし、たくさんの人に優しくできるようになりたいと思いました。
戦争で良い思い出はほとんどないと思います。だからといって、戦争について忘れていいわけではなく、むしろ、これからも残していくべきだと思います。理由は、戦争がなければ今の日本はないのかもしれないし、戦争があったからこそ学べることがたくさんあるからです。けれど、戦争でなくなってしまったものは、私たちには分かりきれないほどたくさんあると思います。なので、二度と戦争はしてはいけません。このことから、これからも伝え続けていきたいし、私もたくさんの人にも知ろうとしてほしいと思いました。