僕は小さいころからピアノを習っています。しかしあまり練習をしていませんでした。「練習しなくても上手になるでしょ!」と思っていたので週に一回しか練習しませんでした。ときには、一回も練習せずに習いに行くこともありました。
四月の上じゅんに連合音楽大会のピアノをひく人を決めました。僕はチャレンジしてみたいと思って手を挙げました。そして、僕がひくことになりました。僕は「ピアノの発表会と変わらないだろ」と思っていました。しかし、そのきょくはとてもむずかしくて僕にはまだ早いと思い始めました。週二の習い事三十分をこえるきびしい練習。しかし、前の僕とはちがってあきらめずに毎日、へとへとになるまで練習しました。なぜなら、僕が練習をしなくて下手くそで本番失敗したら僕のせいだからです。
そして五月、みんなと合わせて歌う練習が始まりました。最初は上手にひけていたけどなれてくるとだんだん止まることやミスをすることが多くなってきました。僕は自信をなくしかけていました。そのとき、支えになったのは父です。父はピアノが全くひけないのに「もうちょっとテンポを上げたほうがいいよ」や「がんばっているね」とアドバイスをしてくれました。それが僕の自信になりました。父はみんなと合わせる練習として、ピアノをひいている僕の横で歌ってくれました。父は止まらず歌い続けるので僕が止まってもひきなおすことができないのでとてもむずかしかったです。うまくひけないくて泣くこともありました。でも父は、
「上手になってるよ」
とはげましてくれました。学校でもすらすらひけるようになりました。父のおかげだと思いました。だんだん父との練習も楽しくなってきました。みんなにも
「うまいね」
と言われるようになりました。
しかし、コロナウイルスの影きょうで市での発表の場はなくなりました。ぼくはとても残念で練習はほとんどやらなくなりました。学校で七月に発表することになりました。
父との練習を再開しました。前よりたくさん練習しました。父はやめることなく横で歌ってくれました。アドバイスや応えんもたくさんくれました。
そして七月、発表の日。父のアドバイスをすべて思い出して、おもいっきりひきました。それと同時にきん張がなくなってきました。本番は大成功し、それと同時に父への感謝の気持ちがわきました。僕は帰ってありがとうといいました。
僕は父との練習をきっかけに、練習することと、みんなと合わせることを学びました。このことを、これからも生かしていきたいです。